地域と戦争の記憶④
最近、拳銃を使用した暴力的な事件が多発しています。
さて、第二次世界大戦中は、もちろん戦争中であり、
社会が暴力を正義に転化することを正当化できた時代で
です。そんな時代子供たちは一体何を考え、どう生きるようと
していたのでしょうか
佐世保市宮地区に興味深い話がありますので、
みなさまに簡単に紹介したいと思います。
ご存知かと思いますが、佐世保には軍港が当時あり、
また川棚町には特攻の基地もあったのでした。
戦争が長期化、激戦となり、本土爆撃も増えました。
そこで、防空壕を掘ることになったのですが、
大人たち、青少年たちは兵隊に借り出され、
壕を掘るのは、当時の旧宮村国民学校の全校生徒で
行ったそうです。当初は上級生と教師が中心となり、
2交代で、男子がつるはしで掘り、女子が土運びを
やっていたそうです。やがて上級生までもが、農家などの労働力として借り出され、下級生の手で防空壕が完成されたのです。
その防空壕は『無窮洞(むきゅうどう)』と呼ばれています。
子供たちは、この穴掘り作業をどんな気持ちで行っていたのでしょう。お国のために当たり前の行動であると思っていたのでしょうかそれとも本当はいやいやでたまらないけど言えなかったのでしょうか
小学生が防空壕を掘る、これは哀しいことです。
このような子供たちが、暴力的な社会の犠牲になる
時代が再び訪れることのないようわたしたちは
がんばるべきだと思います。
(私がかつて投稿した某SNSサイトより転載)
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