カテゴリー「戦争と平和」の記事

2007年7月12日 (木)

地域と戦争の記憶④

最近、拳銃を使用した暴力的な事件が多発しています。

さて、第二次世界大戦中は、もちろん戦争中であり、
社会が暴力を正義に転化することを正当化できた時代で
です。そんな時代子供たちは一体何を考え、どう生きるようと
していたのでしょうか

佐世保市宮地区に興味深い話がありますので、
みなさまに簡単に紹介したいと思います。
ご存知かと思いますが、佐世保には軍港が当時あり、
また川棚町には特攻の基地もあったのでした。
戦争が長期化、激戦となり、本土爆撃も増えました。
そこで、防空壕を掘ることになったのですが、
大人たち、青少年たちは兵隊に借り出され、
壕を掘るのは、当時の旧宮村国民学校の全校生徒で
行ったそうです。当初は上級生と教師が中心となり、
2交代で、男子がつるはしで掘り、女子が土運びを
やっていたそうです。やがて上級生までもが、農家などの労働力として借り出され、下級生の手で防空壕が完成されたのです。
その防空壕は『無窮洞(むきゅうどう)』と呼ばれています。

子供たちは、この穴掘り作業をどんな気持ちで行っていたのでしょう。お国のために当たり前の行動であると思っていたのでしょうかそれとも本当はいやいやでたまらないけど言えなかったのでしょうか

小学生が防空壕を掘る、これは哀しいことです。
このような子供たちが、暴力的な社会の犠牲になる
時代が再び訪れることのないようわたしたちは
がんばるべきだと思います。

(私がかつて投稿した某SNSサイトより転載)

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地域と戦争の記憶③

その①で紹介した針尾島には、『3本の謎の塔』があります。

それは『針尾無線塔』と呼ばれるものです

1号等、2号塔は高さ135m、3号等は137m
あります。相当な高さです。コンクリート製です。

この塔は、大正時代に作られたものです。
そして、歴史的にとても重要な役割を果たします。

1941年12月2日に、真珠湾攻撃に向かう連合艦隊に
ひとつの暗号電文がこの塔から送られました
『ニイタカヤマノボレ一二〇八(ひとふたまるはち)』
である

こうして、太平洋戦争に突入していったのです・・・

詳細は・・・
佐世保海上保安部業務案内【針尾無線塔について】

未だにこの建物が残っていることは、
戦争について記憶を薄れさせないために、
幸せなことである

いつまでの残っていて欲しいです。
歴史の証人として・・・

(私がかつて投稿した某SNSサイトより転載)

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地域と戦争の記憶②

わたくしがかつて、某SNSに投稿した記事をそのまま転載

JR九州、ハウステンボス駅のことです。

この駅についてはいろいろ話すことがあります。
概観はハウステンボスと同じくオランダ風です。


別の観点から・・・・
この駅から長崎・大村方面に下ると、駅からすぐ
トンネルを抜けて、あっという間に、次の駅に着きます。
「南風崎駅」(はえのさき)と呼ばれているものです。

この駅は無人駅ですが、歴史的には大変重要な駅です。
なぜなら、戦後の引揚者の方が、ハウステンボス近くの港(浦頭)からまずこの駅に集結しました。

ここで、伝染病などの
予防を受けて、それぞれ故郷の土地に戻られて行ったのです。
南風崎駅からももちろんハウステンボスは見えます。
ここに来られる観光客の方は、ハウステンボス周辺が
戦前~戦後にかけて重要なところだったと思って、見てもらうと、新しい発見があるかもしれません。

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地域と戦争の記憶①

浦頭引揚記念公園について書いちゃいます。

西海橋を渡る前の針尾島にある公園です。

ここは、太平洋戦争の終戦のときの、
外国からの引揚者の方が帰ってこられ、第一歩を踏まれた、
とても記念深いそして平和について考えるのに重要な土地です。

この港についた方たちは、どのような思いであったのでしょうか ?
やっと日本に帰ってこられた喜びもあったかもしれませんが、
これから日本で再び生活を再構築する不安・心配が大きかったからも
しれません。

わたしたちは、普段なにげなく思っている場所に、とても深いそして
けっして忘れてはならない歴史があることを再認識いかねばなと思います。

今、この場所は、釣り(アジゴ)のさびき釣りに絶好のスポットにも
なってます。やはり、釣りしているとき、ふと上述のようなこと考えちゃいます。

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